2017年2月26日日曜日

デザインするとは。世の中に満ち溢れる無駄な装飾に贈る小言

私はデザイナーでもなんでも無いから自由に好きな事を偉そうに言わせていただくと、デザインというのは何をもって装飾するかでは無く、いかに配置するかだと思うのだ。
装飾の一切無いただの箱のような私の部屋は、デザインとは無縁だが、ではこの部屋を少しでもしゃれたものにしたいと考えたとしたら、何をすれば良いかというと、観葉植物や壁掛け時計で装飾すれば良いだろうか?
観葉植物を置けば、部屋が少しおしゃれになる。という安易な発想はほとんどの場合失敗に終わる。
それはたぶん、観葉植物に責任は無い。
大事なのは、着想のスタートとして「この部屋に観葉植物を置きたい」から入るのではなく、「この部屋に何を置くべきか、置かないべきか」という入り口の判断と、それが必要だと思って配置するならば、どこに配置しようかという構想と、そして、他の配置物とのバランスをどうとるかというセンスで、それがそこにあってその部屋をよく見せるかどうかが決まってくると思う。

私の感覚で言うならば、観葉植物などというものは意味が分からないと、入り口の段階で拒否反応が起こる。
理由を挙げるならば、この部屋に有るべき理由が無いからという理由になるが、とにかくこの世には、無意味な装飾が多すぎると感じる。
例えば分厚い難しそうな本が並んでいると思ったら、背表紙だけのイミテーションだったりする装飾物もそうだが、たとえ本物でも、絶対読んでないだろうという本なら一緒である。
配達で高級なマンションのエントランスなんかに入ると、共用部分に英語やフランス語の分厚い本が置いてあったりする。
置いてあるだけだ。絶対に誰もマンションのエントランスで分厚い本を手にとって読んだりはしない。ましてや日本語で書かれていない。
ここまで来るとやりすぎである。美的感覚に節操が無い。

しかし装飾自体を全て根底から否定したいわけでも無いのだろうなと、自分の考えを少し立ち入って探ってみると、配置というものにてんで無節操な装飾というものに辟易しているのだなという結論に至った。
無意味な装飾が多いと書いたが、無意味だったら全て無価値かと言い出したら、世界のあらゆるものを爆破して回らなければならなくなる。

部屋のデザインで言うならば、部屋もなにも飛び越してまずいきなり「こういうソファが欲しい」という入り口から入って「ここに置くスペースがある」というのは下策中の下策だろう。
まずは部屋をしっかりと見回して、「どこに何を配置しようか」「配置しないでおこうか」から始まり「この部屋の感じでここに配置するなら必然的にこういう物が良さそうだ」となり「ここにこれを置いた場合、こっちとの兼ね合いが」「バランスが」という順番で空間の構想を練っていくのが、デザインするということなのでは無いだろうか。

つまり装飾というのは、配置を構想する上でアレンジャーが必然的にイメージしたものであれば、どんな無意味な物体や模様でも、配置された装飾という意味を帯びて、見る者の心に届いて来ると思うのだ。
そういう意味では、さきほど「有るべき理由が無い」などと断言した観葉植物も、有るべきところに配置されていれば、いいなと思わされる。
逆にどんな高級なインテリアだろうが、高尚な本や絵画だろうが、それを飾りたかっただけというような発想の出発点から、節操なく配置されただけのものであったら、ただただ、無駄だなぁとの感想を、見る者に与えるだけとなる。

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