2017年3月15日水曜日

無駄な買い物はクセになる

買い物がしたい衝動というのは、クセでしか無い。
私は一時期、あれはもう6年7年前の話だが、あまりに自分が無趣味で金を使わず、貯金が増える一方なので、もう少し使わないといけないかなと思い、毎月10万はかならず何か余計に使うと決めて、服やら映画やら本をネットショップで買いあさってみたり、風俗に行ってみたり、バイクを改造してみたり、家具を買ってみたり、ゴールドカードに切り替えてみたり、色々とやっているうちにどういう感覚になっていったかというと、お金を使う事自体が大事な事のように思えてきたというか、それが人生を上向きにするための道のようなものなのかという錯覚が起きはじめていた。

例えば映画のDVDや本を部屋に並べてそれが増えていくと、それにつれて自分の内面が豊かになったような気になって、もっとコレクションしようと考える。
服が増えていくと、自分が洗練されていっているような気になって、まだ一回も袖を通していない服があるのにまた新しい注文をしたりする。
風俗に行けば、一度の人生で多くの女性を知ったような気分になれる。知らないよりかは出来る限り多く知ったほうが良いに決まっているという気になってくるし、クレジットカードを使えば使うほど貯まるポイント数やポイント率が上昇する会員ランクを見ては、使えば使うほどどんどん得をしているような気さえ、どこかしていたような所があった。

こういったものは、限りが無い。虚しいものの収集家である。
しかしその渦の中にいったん嵌ってしまうと、なかなかそれが虚しいものだとは自覚できなくなる。
むしろすごく自分の人生にとってかけがえの無い部分だと信じ始める。
だからより多くの金額を稼ぐことが、より自分を高める近道に感じる。節約などもってのほか、大事な部分を泣く泣く切り落として、禁欲するなんて、むしろ人生を墜落させるだけだと感じ、そんな選択肢は選べない。

金稼ぎに情熱を燃やして精を出すのはまあいいとして、しかしその根っこの目的が結局こういうような、虚しいコレクト行為だとしたら、それはまさに無駄である。

すべてお金さえ出せばポンと出てくる手に入る物を総称するという意味で、こういった諸々の行為を一言で”買い物”と言い表すとしよう。

概念的であろうが物質的であろうが関係無い。旅行もダイヤも酒盛りもお菓子もお金で買える女性も一緒である。
”買い物”では自分の人生を本当の意味で豊かにすることはできない。
豊かさとは何かという事について自論を展開しはじめると、前にも同じような事を書いたし、今回の趣旨からも外れてくるので、それはまあ置くとして、まず節約というか、生活から無駄を省きたいと考えた時に、そもそも自分が繰り返している無駄というものは、無意識の中に潜んでいるのでなかなか見つからないという心構えで探してみるべきだと思う。
習慣化している、むしろ自分にとって大事な部分、ここは外したくない、これこそ人生の楽しみだと感じている所に、無駄は潜んでいると思うのだ。

本当にその”買い物”は必要なのか?
虚しいコレクションを増やして、並べて、悦に入って、やがて飽きて別の物に熱が移って、古いバージョンのコレクション熱が冷めた頃、断捨離だなんだと言ってそれを処分した所で、もうすでに新しいコレクションは別のベクトルに増え続けている。
目先が変わっただけで、また数ヵ月後、数年後に、今やっている”買い物”の大処分市が開かれるだけのことにはならないだろうか。

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